李楨(1578-1607)は、字を公幹、号を懶翁または懶窩といい、本貫を全州とする。祖父の李上佐(1465-?)、父の李崇孝、叔父の李興孝(1537-1593)がいずれも画員を務めた、朝鮮初期から画業を継承してきた代表的な画員一族出身の画家である。彼は職業画家であったが、簡易堂・崔岦(チェ・リプ)に詩文を学び、許筠(ホ・ギュン)ら当代の文士たちと親密な交流を持ったと伝えられている。許筠は「李楨の山水画は、その技法が安堅から出ているがさらに老練であり、人物画は祖父から伝授されたものであるがその光彩はより躍動している」と評した。実際に、李楨は朝鮮初期の山水画を代表する安堅派の伝統を継承する一方で、浙派画風や南宗画風までをも消化した、朝鮮中期の代表的な画家である。
李楨のこの〈山水図〉六幅は、士大夫たちが山水と調和し大自然を玩賞する多様な場面を描いた作品であり、画面の左半部に重心を置く三幅と、右半部に重心を置く三幅で構成された一種の偏頗構図を成している。しかし、最初の二幅が季節的に春、次の二幅が夏と見なされるのに対し、最後の二幅はそれぞれ秋と冬の場面に該当するように見えることから、本来は〈四時八景図〉や〈瀟湘八景図〉のように八幅で構成されていたもののうち、二幅が散逸した可能性もある。特に、この山水図のうち四番目の作品は、国立中央博物館所蔵の李澄(イ・ジン)筆〈瀟湘八景図〉の中の「瀟湘夜雨図」と、煙霧が立ち込める雲山の表現、画面の構成、景物の配置などが極めて類似しており、このような推測を裏付けている。ただ、本作では前景の土坡をさらに拡大し、画面の右側に伏してのどかに休んでいる朝鮮中期の典型的な牛を描き入れているが、これは本山水図の中で唯一人物が登場しない一幅として注目される。また、本作において二幅ごとに一度ずつ登場する一隻の舟と、その中で寄りかかって座る士大夫の姿が、ほぼ同一の形態で繰り返されている点も非常に興味深い。
李楨のこの〈山水図〉六幅は、いずれも水面と霧によって広い空間を示唆しており、構図や樹枝法、短線点皴を積極的に駆使した山の表面描写などは安堅派の画風を示している。同時に、五番目の画幅では小景山水人物画を描いており、家伝の画風とともに当時流行していた李慶胤(イ・ギョンユン)らの朝鮮中期画風を巧みに消化していることを物語っている。